Story 15松脂の採取によって弱った木
愛知県

愛知県豊橋市にある高師緑地公園。旧陸軍の高師原演習場として使われていたそうで、樹齢150年を超えるクロマツの大木が多くある緑豊かな公園です。そのマツの木は、樹皮の一部がはがれた状態のものが見られます。実はこの「樹皮のはがれ」は、太平洋戦争末期に、石油の代替品として旧陸軍が「松脂(まつやに)」を採取するためにできた痕跡で、それが原因で弱っている木が多いといいます。今回そんなマツの木の一部を取得しました。戦争で食べ物や資源、あらゆる物資が不足する中、公園のマツの木からさえも油を取得しようというのは、いわば無謀な行為。戦後80年が経とうとする現在も、その痕跡から戦時中の実態が伝わってきます。


Tree Weakened by Pine Resin Harvesting
Takashi Ryokuchi in Toyohashi, Aichi Prefecture, is a lush park that once served as the Takashi Field Training Grounds for the Imperial Army. The park is home to many large black pine trees (Kuromatsu), some of which are over 150 years old. These pine trees show signs of bark peeling in certain areas. This “peeling bark” is a trace left from the late stages of the Pacific War when the Imperial Army extracted pine resin (matsu-yani) as a substitute for petroleum. Many of the trees became weakened as a result. We acquired a portion of one of these pines. In a time when food, resources, and all kinds of supplies were scarce during the war, the act of extracting oil from the park’s pines was, in a sense, reckless. Even after 80 years since the war’s end, the traces convey the reality of the wartime situation.
OTHER STORY
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Story 01高度経済成長木
大阪府1955年〜1973年頃の高度経済成長時代に日本で増えた「団地」という集合住宅。そしてその敷地内にはたくさんの木が植えられました。それから約50年、その団地は老朽化に伴い建て替えることになり、その影響により木々の伐採もせざるを得なくなりました。団地の住人のみなさんに長く親しまれてきた木を、何らかの形で活かしたいという想いから、今回取得に至りました。このように時代の流れで突如増大してしまった団地とそこに植えられた木は、日本全国にきっとたくさんあるでしょう。もう50年なのか、まだ50年なのか。建物と木、それぞれがあり続けるための姿を、今あらためて考えさせられます。
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Story 02戦後を支えようとした木
三重県1950〜60年代にかけて戦後の復興需要によってスギやヒノキなど、成長が早く建築用材に適した針葉樹の植林が一斉におこなわれました。しかし急斜面など伐採に適さない地形にも植樹が及び、間伐期を迎えても伐り出されずに育ちすぎてしまった木も全国的に多くあります。今回三重県亀山市を拠点に地域の木で住まいやオーダー家具を手がける〈ノッティーハウスリビング〉から取得した木もその一部で、同社の親会社である〈三栄林産〉が植林したスギとマツ。植えたあとに林道を整備せず、手入れも間伐もできないという悪循環は、全国的な課題となっています。
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