

STORY
- Column01戦時・戦後を生き抜いてきた木
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Story 01高度経済成長木
大阪府1955年〜1973年頃の高度経済成長時代に日本で増えた「団地」という集合住宅。そしてその敷地内にはたくさんの木が植えられました。それから約50年、その団地は老朽化に伴い建て替えることになり、その影響により木々の伐採もせざるを得なくなりました。団地の住人のみなさんに長く親しまれてきた木を、何らかの形で活かしたいという想いから、今回取得に至りました。このように時代の流れで突如増大してしまった団地とそこに植えられた木は、日本全国にきっとたくさんあるでしょう。もう50年なのか、まだ50年なのか。建物と木、それぞれがあり続けるための姿を、今あらためて考えさせられます。
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Story 02戦後を支えようとした木
三重県1950〜60年代にかけて戦後の復興需要によってスギやヒノキなど、成長が早く建築用材に適した針葉樹の植林が一斉におこなわれました。しかし急斜面など伐採に適さない地形にも植樹が及び、間伐期を迎えても伐り出されずに育ちすぎてしまった木も全国的に多くあります。今回三重県亀山市を拠点に地域の木で住まいやオーダー家具を手がける〈ノッティーハウスリビング〉から取得した木もその一部で、同社の親会社である〈三栄林産〉が植林したスギとマツ。植えたあとに林道を整備せず、手入れも間伐もできないという悪循環は、全国的な課題となっています。
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Story 15松脂の採取によって弱った木
愛知県愛知県豊橋市にある高師緑地公園。旧陸軍の高師原演習場として使われていたそうで、樹齢150年を超えるクロマツの大木が多くある緑豊かな公園です。そのマツの木は、樹皮の一部がはがれた状態のものが見られます。実はこの「樹皮のはがれ」は、太平洋戦争末期に、石油の代替品として旧陸軍が「松脂(まつやに)」を採取するためにできた痕跡で、それが原因で弱っている木が多いといいます。今回そんなマツの木の一部を取得しました。戦争で食べ物や資源、あらゆる物資が不足する中、公園のマツの木からさえも油を取得しようというのは、いわば無謀な行為。戦後80年が経とうとする現在もその痕跡と愚かさを痛感します。
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- Column04街や施設の一部だった木
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Story 01高度経済成長木
大阪府1955年〜1973年頃の高度経済成長時代に日本で増えた「団地」という集合住宅。そしてその敷地内にはたくさんの木が植えられました。それから約50年、その団地は老朽化に伴い建て替えることになり、その影響により木々の伐採もせざるを得なくなりました。団地の住人のみなさんに長く親しまれてきた木を、何らかの形で活かしたいという想いから、今回取得に至りました。このように時代の流れで突如増大してしまった団地とそこに植えられた木は、日本全国にきっとたくさんあるでしょう。もう50年なのか、まだ50年なのか。建物と木、それぞれがあり続けるための姿を、今あらためて考えさせられます。
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Story 05大屋根リングの一部だった木
福島県大阪・関西万博会場のシンボルとなる建築物「大屋根リング」。「多様でありながら、ひとつ」という会場デザインのコンセプトが表されており、日本の神社仏閣などの建築に使用されてきた「貫(ぬき)接合」という工法によって作られています。その過程で柱に交差する形で木材を組む際にくり抜かれた建築には使用しない部分を取得し活用。持続可能な取り組みに注力する万博の理念が、ここでも表現されています。
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Story 07電線に引っかかりそうな木
愛知県愛知県犬山市にある名古屋鉄道の所有林の森林整備の一貫で伐り出された木があります。その整備のきっかけは、道路沿いの木が倒木により電線に引っかかってしまったということ。その後の危険性も踏まえて間伐が行われ、その一部を取得しました。
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- Column05団地で、神社で、園舎で、大切にされた木
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Story 01高度経済成長木
大阪府1955年〜1973年頃の高度経済成長時代に日本で増えた「団地」という集合住宅。そしてその敷地内にはたくさんの木が植えられました。それから約50年、その団地は老朽化に伴い建て替えることになり、その影響により木々の伐採もせざるを得なくなりました。団地の住人のみなさんに長く親しまれてきた木を、何らかの形で活かしたいという想いから、今回取得に至りました。このように時代の流れで突如増大してしまった団地とそこに植えられた木は、日本全国にきっとたくさんあるでしょう。もう50年なのか、まだ50年なのか。建物と木、それぞれがあり続けるための姿を、今あらためて考えさせられます。
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Story 04小さな御柱だった木
長野県長野県の諏訪大社で1200年続く、7年毎の宝殿の造り替え、そして御柱を選び、山から曳き、境内に建てるという一連の神事「御柱祭」。「御柱」となるのは樹齢150年、17メートルを優に超える選ばれた16本のモミの大木を指しますが、諏訪近郊の小さな神社では、周りを小さな御柱で囲って結界を作るという風習があります。この小さな御柱は、諏訪大社の大木とは違って引き取り手がないことが現状。そんな御柱を薪として利用してもらうなど、行政が地域の人達に配った中の余りを同じく諏訪に拠点を置き、解体される建物などから古材や古道具をレスキューして販売する〈リビルディングセンター〉が倉庫に保管しており。その一部を今回取得しました。同じ「御柱」でありながら、大きさや規模によってその価値が変わってしまう現実と向き合う機会となりました。
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Story 09船と共に過ごした木
兵庫県神戸港エリアには、古くから造船工場が連ねており、その事業を縁の下で支えていた木の存在がありました。造船する際に、船台上で船体を支えるために「盤木(ばんぎ)」という角材があります。現在は使われず、倉庫に保管されていたものを取得。船の油を吸い。色が黒く染まっている様が特徴的。この盤木のように、建築や家具などわたしたちが実際に使うものだけではなく、道具として使われる木も多々あります。現在は木ではない素材に置き換わるケースや事業活動の終了によって、タ大量の「困った木」が突如出現することもしばしば。その活用法はもちろん、その存在を知らせるネットワークの強化も必要となってきます。
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Story 14子どもたちを見届けてきた木
福岡県取得したのは、福岡県にある保育園の園庭にあるサクラの木。もともと現園長のお子さんが入ることができる保育園がなかったため、自ら立ち上げたというこの保育園。子どもたちにとってシンボルツリーであるサクラは実は園舎に隣接する公園に生えていた木。少子化や待機児童、統廃合など、さまざまな課題がとりまく保育園の現状。その中で一心発起し、子どもたちにとってよりよい環境を考え、園舎内には植えられなくとも「木」の存在を大切に想い実践した園長の優しさが溢れています。
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- Column06人の営みに寄り添ってきた木
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Story 01高度経済成長木
大阪府1955年〜1973年頃の高度経済成長時代に日本で増えた「団地」という集合住宅。そしてその敷地内にはたくさんの木が植えられました。それから約50年、その団地は老朽化に伴い建て替えることになり、その影響により木々の伐採もせざるを得なくなりました。団地の住人のみなさんに長く親しまれてきた木を、何らかの形で活かしたいという想いから、今回取得に至りました。このように時代の流れで突如増大してしまった団地とそこに植えられた木は、日本全国にきっとたくさんあるでしょう。もう50年なのか、まだ50年なのか。建物と木、それぞれがあり続けるための姿を、今あらためて考えさせられます。
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Story 14子どもたちを見届けてきた木
福岡県取得したのは、福岡県にある保育園の園庭にあるサクラの木。もともと現園長のお子さんが入ることができる保育園がなかったため、自ら立ち上げたというこの保育園。子どもたちにとってシンボルツリーであるサクラは実は園舎に隣接する公園に生えていた木。少子化や待機児童、統廃合など、さまざまな課題がとりまく保育園の現状。その中で一心発起し、子どもたちにとってよりよい環境を考え、園舎内には植えられなくとも「木」の存在を大切に想い実践した園長の優しさが溢れています。
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Story 15松脂の採取によって弱った木
愛知県愛知県豊橋市にある高師緑地公園。旧陸軍の高師原演習場として使われていたそうで、樹齢150年を超えるクロマツの大木が多くある緑豊かな公園です。そのマツの木は、樹皮の一部がはがれた状態のものが見られます。実はこの「樹皮のはがれ」は、太平洋戦争末期に、石油の代替品として旧陸軍が「松脂(まつやに)」を採取するためにできた痕跡で、それが原因で弱っている木が多いといいます。今回そんなマツの木の一部を取得しました。戦争で食べ物や資源、あらゆる物資が不足する中、公園のマツの木からさえも油を取得しようというのは、いわば無謀な行為。戦後80年が経とうとする現在もその痕跡と愚かさを痛感します。
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Story 16河川の安全のために切られた木
愛知県河川整備は、地域の住民の安全や河川環境に保全に必要不可欠な整備です。しかしその河川敷の安全のために伐採されるいわゆる「支障木」も少なくありません。愛知県豊川市で2023年におこなわれた河川整備ではそんな伐採木の有効活用と処理コストの削減のため、地域の人々の中から希望者に無償で提供する取り組みをおこないました。今回取得した木もその一部。アウトドア用の薪やDIY用など、街と人々が木を循環させる仕組みの広がりを少しずつ実感しています。
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- Column08大学と団地からやって来た木
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Story 01高度経済成長木
大阪府1955年〜1973年頃の高度経済成長時代に日本で増えた「団地」という集合住宅。そしてその敷地内にはたくさんの木が植えられました。それから約50年、その団地は老朽化に伴い建て替えることになり、その影響により木々の伐採もせざるを得なくなりました。団地の住人のみなさんに長く親しまれてきた木を、何らかの形で活かしたいという想いから、今回取得に至りました。このように時代の流れで突如増大してしまった団地とそこに植えられた木は、日本全国にきっとたくさんあるでしょう。もう50年なのか、まだ50年なのか。建物と木、それぞれがあり続けるための姿を、今あらためて考えさせられます。
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Story 06大学からやってきた木
東京都大学をはじめ、幼稚部、小学部、中学部、高等部、大学院が広大なキャンパスに集う総合学園である、東京・町田市の玉川学園。「自然の尊重」を教育信条のひとつに掲げ、創立から90年以上にわたり教職員、生徒、学生の参加型でキャンパス内の植林労作活動を推進してきました。彼らの正しい管理と間伐作業の結果、現在では動植物や自然環境の生育にとって貴重な里山環境が形成されています。今回取得したのは玉川大学の学生や教授らが参加した労作にて間伐されたヒマラヤスギと校舎建設のため移植が難しく、伐採することになったカナリーヤシの2種類。教育活動と真摯に向かい、実践する彼らのやさしい想いが、困った木を本質的に救うのではないでしょうか。
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Story 18磨かれちゃった木
奈良県「磨き丸太」とは、樹皮を剥いで乾燥させ、表面を磨きあげた丸太のこと。なめらかで光沢感の木肌が特徴で、古くから日本家屋の建築材として使われています。奈良県吉野の〈森庄銘木〉は、スギ・ヒノキの植林から完全乾燥製品まで一貫しておこない、時間をかけて高品質の磨き丸太を生産すしています。今回その中から、磨いた後に、最終的な検品で製品にはいたらなかったものを取得。この磨き丸太だけではなく、加工が施され、完成を目前に廃棄に至ってしまう木の存在も改めて知ることになりました。
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- Column09安全を守った木と材になれなかった木
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Story 05大屋根リングの一部だった木
福島県大阪・関西万博会場のシンボルとなる建築物「大屋根リング」。「多様でありながら、ひとつ」という会場デザインのコンセプトが表されており、日本の神社仏閣などの建築に使用されてきた「貫(ぬき)接合」という工法によって作られています。その過程で柱に交差する形で木材を組む際にくり抜かれた建築には使用しない部分を取得し活用。持続可能な取り組みに注力する万博の理念が、ここでも表現されています。
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Story 07電線に引っかかりそうな木
愛知県愛知県犬山市にある名古屋鉄道の所有林の森林整備の一貫で伐り出された木があります。その整備のきっかけは、道路沿いの木が倒木により電線に引っかかってしまったということ。その後の危険性も踏まえて間伐が行われ、その一部を取得しました。
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Story 17商品になれなかった木
兵庫県兵庫県多可町にある間伐材加工品、土木用木材の専門店〈木原木材〉は、足場丸太や木柵など丸棒加工に特化しています。近年では、円柱材の中心部に穴をあけて、鉄棒を通したり木材乾燥の促進を図る等、木材の中心に穴を空ける用途のニーズも高まり、「中ぐり加工機」「芯抜き加工機」という専用機械を導入しています。その機械操作の試験過程では、丸太の中心から穴がずれてしまい、材料にならなかった木も当然あり、その一部を取得。実際に製品化にいたらなくとも、あらたな技術と木の活用の未来を感じさせる、ポジティブな存在です。
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- Column11木材になる手前にあった木
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Story 03海に投げ入れられた木
愛知県愛知県弥富市にある製材所〈ヤトミ製材〉は、日本でも数少ない木材の水中乾燥をおこなっている場所です。酸素と日光を遮断することで干割れや日焼けを防ぎ、細胞内に海水が満ちることで、反りやネジレを低減させるなど、様々な効果が期待でき、実は1300年以上の歴史を持ち、伊勢神宮の御用材にも用いられている技法です。この水中乾燥では、木材を完全に浸水させる必要があり、その“重し”として使われていた木を取得。重しの木の多くは流通から外れてしまったもので、ゴミとして処分されることも多いのだそう。傷物、訳ありな木たちをどう活用していくかを探る必要性を感じさせます。
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Story 05大屋根リングの一部だった木
福島県大阪・関西万博会場のシンボルとなる建築物「大屋根リング」。「多様でありながら、ひとつ」という会場デザインのコンセプトが表されており、日本の神社仏閣などの建築に使用されてきた「貫(ぬき)接合」という工法によって作られています。その過程で柱に交差する形で木材を組む際にくり抜かれた建築には使用しない部分を取得し活用。持続可能な取り組みに注力する万博の理念が、ここでも表現されています。
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- Column12木のために役に立った木
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Story 01高度経済成長木
大阪府1955年〜1973年頃の高度経済成長時代に日本で増えた「団地」という集合住宅。そしてその敷地内にはたくさんの木が植えられました。それから約50年、その団地は老朽化に伴い建て替えることになり、その影響により木々の伐採もせざるを得なくなりました。団地の住人のみなさんに長く親しまれてきた木を、何らかの形で活かしたいという想いから、今回取得に至りました。このように時代の流れで突如増大してしまった団地とそこに植えられた木は、日本全国にきっとたくさんあるでしょう。もう50年なのか、まだ50年なのか。建物と木、それぞれがあり続けるための姿を、今あらためて考えさせられます。
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Story 03海に投げ入れられた木
愛知県愛知県弥富市にある製材所〈ヤトミ製材〉は、日本でも数少ない木材の水中乾燥をおこなっている場所です。酸素と日光を遮断することで干割れや日焼けを防ぎ、細胞内に海水が満ちることで、反りやネジレを低減させるなど、様々な効果が期待でき、実は1300年以上の歴史を持ち、伊勢神宮の御用材にも用いられている技法です。この水中乾燥では、木材を完全に浸水させる必要があり、その“重し”として使われていた木を取得。重しの木の多くは流通から外れてしまったもので、ゴミとして処分されることも多いのだそう。傷物、訳ありな木たちをどう活用していくかを探る必要性を感じさせます。
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Story 17商品になれなかった木
兵庫県兵庫県多可町にある間伐材加工品、土木用木材の専門店〈木原木材〉は、足場丸太や木柵など丸棒加工に特化しています。近年では、円柱材の中心部に穴をあけて、鉄棒を通したり木材乾燥の促進を図る等、木材の中心に穴を空ける用途のニーズも高まり、「中ぐり加工機」「芯抜き加工機」という専用機械を導入しています。その機械操作の試験過程では、丸太の中心から穴がずれてしまい、材料にならなかった木も当然あり、その一部を取得。実際に製品化にいたらなくとも、あらたな技術と木の活用の未来を感じさせる、ポジティブな存在です。
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- Column13戦後植林の上で輝く木
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Story 01高度経済成長木
大阪府1955年〜1973年頃の高度経済成長時代に日本で増えた「団地」という集合住宅。そしてその敷地内にはたくさんの木が植えられました。それから約50年、その団地は老朽化に伴い建て替えることになり、その影響により木々の伐採もせざるを得なくなりました。団地の住人のみなさんに長く親しまれてきた木を、何らかの形で活かしたいという想いから、今回取得に至りました。このように時代の流れで突如増大してしまった団地とそこに植えられた木は、日本全国にきっとたくさんあるでしょう。もう50年なのか、まだ50年なのか。建物と木、それぞれがあり続けるための姿を、今あらためて考えさせられます。
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Story 02戦後を支えようとした木
三重県1950〜60年代にかけて戦後の復興需要によってスギやヒノキなど、成長が早く建築用材に適した針葉樹の植林が一斉におこなわれました。しかし急斜面など伐採に適さない地形にも植樹が及び、間伐期を迎えても伐り出されずに育ちすぎてしまった木も全国的に多くあります。今回三重県亀山市を拠点に地域の木で住まいやオーダー家具を手がける〈ノッティーハウスリビング〉から取得した木もその一部で、同社の親会社である〈三栄林産〉が植林したスギとマツ。植えたあとに林道を整備せず、手入れも間伐もできないという悪循環は、全国的な課題となっています。
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Story 18磨かれちゃった木
奈良県「磨き丸太」とは、樹皮を剥いで乾燥させ、表面を磨きあげた丸太のこと。なめらかで光沢感の木肌が特徴で、古くから日本家屋の建築材として使われています。奈良県吉野の〈森庄銘木〉は、スギ・ヒノキの植林から完全乾燥製品まで一貫しておこない、時間をかけて高品質の磨き丸太を生産すしています。今回その中から、磨いた後に、最終的な検品で製品にはいたらなかったものを取得。この磨き丸太だけではなく、加工が施され、完成を目前に廃棄に至ってしまう木の存在も改めて知ることになりました。
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- Column16最後の最後で家具になれなかった木
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Story 08綺麗なのにいらない木
兵庫県「困った木」のプロジェクトで木材の取得や保管で協働してきた、木材コーディネーターの山崎正夫さん。彼が主宰する〈SHARE WOODS.〉という住宅や商業・公共施設などの木質系内外装材の販売や建築資材や木製品の商品開発などをおこなう事業の中でも、さまざまな発見がありました。彼から取得したのは無垢材をシート状にスライスして、ベニヤ板や集成材などの表面に貼り付けた「突板(つきいた)」を生産する際に、残った木材の芯の部分。家具づくりにおいて無駄なく材料を使うことは前提であるものの、どうしても余ってしまう部位があることも事実。その活用法を考え実践することをやめないことが、未来への確かな気づきにつながるのではないでしょうか。
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Story 13突板になれなかった木
愛知県愛知県名古屋市に拠点を置く〈片桐銘木工業〉。「環境にやさしく木の文化を提案する」という理念のもと、木曽桧や、銘木といった天然木、植林木を和風・洋風建材、構造材、家具材、エクステリア材として販売・加工しています。その中で、突板を製造・貼り加工の技術は高く、見た目はもちろん、防火といった機能面の向上についても力を入れています。銘木を使った家具でもやはり、その過程で端材が出ます。突板の場合はどうしても「芯」が残ってしまうため、今回その部分を取得。銘木もあいまって、今後さまざまな使い道が生まれることを願います。
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