樹木医という言葉を聞いて、どのような職業かスラスラと説明できる人は少ないはずです。〈HARDWOOD(ハードウッド)〉は、日本でも珍しい樹木医の会社。それだけでなく、樹木にまつわる幅広い業務を請け負う“樹木の専門業者”です。普段あまり目にすることのない樹木医としての仕事を見学させてもらいながらお話を伺い、見ただけではわからない木のこと、そしてそれを解決する彼らの活動がいかに必要かということに触れました。
なぜ樹木医が木に登る?
「ハードウッド」代表・森広志さんがスルスルと木の上へ登っていきます。頭にヘルメット、腰にはハーネス、そしてクライミングロープという出で立ち。こう見えて、彼の仕事は樹木医です。平たく言えば、木のお医者さん。通常の樹木医とは、おもに公園緑地などで樹木の保護や育成、管理をおこない、それによって落枝や倒木などによる被害を抑制する専門家のことです。そんな彼が、いまなぜ木に登っているのでしょう。
遡ること2時間。今日の作業をハードウッド所属のもう一人の樹木医である片岡日出美さんが説明してくれました。今回の患者さんは3本のスダジイ。筑波山大御堂で300年近く生きてきた巨樹たちです。樹木医の流れでいうと、まずは外観診断というものをおこないます。
「あっちにキノコが付いているの、わかりますかね? ベッコウタケというんですが、あれが付いているということは、内部はだいぶ腐っているというサインなんです」
外観診断だけでは内部の状態まではわからないことが多いので、人間でいうCTスキャンのような機械を使って中の状態を検査します。その結果、内部はかなり朽ちてきていることが判明。いっぽうで、周辺の地面を掘って、どういう根がどの方向にどのくらい伸びているか、根の状態を確認していきます。その後に土壌改良。堆肥などをくわえることで、新しい根の発根を促します。
「掘り返すことで何十年もの間、踏み固められ続けてきた土をほぐしてあげる効果もあるんです」
今回特徴的なのは竹炭。筑波エリアは放置竹林の問題が大きくなっています。これは成長速度がはやく繁殖力の高い竹が、ほかの樹木の成長を阻害してしまうというもの。これにより土砂災害の危険性なども増えてしまいます。今回のハードウッドの現場では、地元の人と協力して伐採した竹を炭にして、細かい穴を開けた竹筒の中にいれて埋め込んでいます。そうすることで締め固まるのを防ぎ、新鮮な空気や雨水を根に供給することができます。それだけでなく、多孔質な竹炭は根っこに栄養を供給してくれる共生菌の住処にもなるそうです。土壌改良と同時に竹問題の解決の一助となる、一石二鳥のアイデアです。
「一度腐ったり空洞になってしまった部分を人間の力で復活させることはできませんが、たっぷり光合成してもらって木を太らせることで、健全な状態の部分の割合を増やしていくんです」
ただし、今回の場合は、土壌の改善だけでは不安も残るといいます。スダジイの特徴として、内部が腐っていても外側だけ見ると元気そのものに見えることも多いのだそう。実際、いま目の前にしているスダジイは葉も生い茂っているし、枝振りも良い。健康そのものに見えます。
「元気さと物理的な強度はまったく別な軸で考えてあげないといけないんです」
今回土壌改良をしてあげたことによって、新しい葉っぱや枝がたくさんでてくるはずだと片岡さんは言います。ただし、そうなると次に心配なのがその重みに木が耐えられるのか、ということです。枝が折れてしまうのもそうですが、なにより怖いのが根っこからゴロンとひっくり返ってしまう危険性です。
「だから枝振りをサイズダウンしてあげることが必要なんですが、弱った状態でそれをやると木全体が弱ってしまうので、まずは健康にして、数年様子をみてから枝を剪定するという計画です」
そのためにあらかじめ支柱を立てて大枝を支えます。それにくわえてケーブリング。支柱を立てるのが難しい場所にある、危険な枝をコブラロープという専用のロープで吊ってあげる作業も必要です。ようは元気になって枝振りが良くなっても折れないように補強をいれておくわけです。
「危険だから切ってしまえば良いというものではない。生き物と付き合うというのはそういうことだと思っています。今回のスダジイにしても、地元に300年以上長く愛されてきた歴史があります。今、私たちが置かれている立場で、人の生活と自然の間に立って考え得るベストを尽くしておきたいんです」
ケーブリングのために樹上に登る準備をしている森さんが言います。人と木のちょうど間に立っている仕事。「だから、わざわざ木の上に登るんです」と、真剣な表情で樹上の様子を確認しながら森さんが続けます。今回のように高所作業車が入り込めない現場も多々あります。そんなときに森さんのクライマーとしての経験が活きてくると言います。樹木に傷などのストレスを与えずに樹上に登り作業する技術で、今回はケーブリングでの補強でしたが特殊伐採のために登ることもあるそうです。特殊伐採とは、木を地上で根元から伐採するのではなく、樹上に登ってロープ等を使って剪定や伐採をすること。たとえば、倒木の恐れがある巨木が狭い敷地内にある場合。根元から伐採すると当然、周囲の住居や送電線などを傷つける恐れがあります。しかし、樹上からおこなう特殊伐採という方法なら、そのリスクを回避できるというわけです。ただし、それには確実なロープワークなど、樹上作業のスキルにくわえて、どこをどう切るべきかを判断する樹木医としての眼が必要になってきます。それを高いレベルで両立しているのが、森さんと片岡さんが所属するハードウッドというプロ集団なのです。
樹木医だけで終わらない多様な活動
ハードウッドは、樹木医の会社でありながら、代表の森さんがもともと林業出身ということもあり、林業的な仕事もするし、造園的なこともてがけています。林業の会社や造園の会社はたくさんある中で、樹木医で成り立っている会社はまだまだ少ないという現状の中、総合的にできるのがハードウッドの強みと言えます。まさに樹木医をメインとした樹木のトータル企業。
「うちは大規模な伐採も調査もやるし、個人宅のシンボルツリーを治療することもあります。樹木のプロフェッショナルとして、なんでも来いという気持ちでやっています」
戦後に植えられた木が、予想を超えて大きくなっていることもあって、いま様々な問題が頻出しているといいます。たとえば郊外の街路樹。根っこは道路整備のために切られていて、ダメージがあるのに大きいままという木も多いので、倒れてしまう危険性なども増えてきています。
「仕事としてはたくさんあるんですよ。ただ、受け皿が少ないんです。僕らのような企業がもっと増える必要があると感じています」と、まだまだ潜在的な仕事が眠っている状況です。
「テレビやラジオの取材依頼の対応もしていますが、以前よりもだいぶ樹木医という職業が認知されているという実感があります。ちょっとでもこの仕事を知ってもらいたくて自社のYouTubeチャンネルも頑張っています」
ハードウッドでは企業の森作りのお手伝いも手がけているそうです。場所探しから、地権者との交渉、森作りの計画、実際の作業までトータルで見る。それには、どういう森作りが環境に寄与するのか、社会に寄与するのか考え続ける必要があります。
「いまも日本郵船さんと一緒に御殿場で森作りをおこなっています。目指しているのは放置された人工林を一部は自然林に戻していって、生物多様性のある森に変えていくこと。また一部は里山として利用する森づくりをしていく。さらに、そこにトレイルなどを付けて人が入って楽しめる場所にしたいですね」
木とともに、未来に継承されていくべき仕事への姿勢
とうぜん生き物が相手だから構造物にはない難しさがあります。育って行くし、強度計算なども難しい。土地、樹種など不確定要素も多い。だから、ハードウッドはデータの蓄積も大切にしているそうです。
「樹木医という制度が生まれて約30年。この仕事をしていると先輩樹木医が残してくれたデータや伝承の貴重さを実感する」と片岡さんは言います。
「だからこそ、自分たちもデータを後世に残さなければと思っていて、仕事ごとにできるかぎり記録を取るようにしています。今回も根がどのように張っているかを図面に起こしています」
作業を作業で終わらせない。例えば倒木などがあったときも、急いで片付けることも重要ですが、どうして倒れてしまったのか、という原因を突き止めることで、未然に防ぐこともできるようになるはずです。年間約5000本の倒木があるという国交省のデータもあります。巨木を守り、人と樹木が共生していくために、こうしたノウハウを急ぎ普及する必要性に迫られているのは間違いありません。いわば未来に繋がって行くデータの蓄積です。ただしいまは、そういった調査にたいしては対価が支払われないというのが現実としてあります。
「作業だけしてそれで終わり、が一番ラクではあります。でも、今回のように調査も同時におこなうというのは、手間はかかりますが、お金では変えられない価値があると信じています。だからやれるときはできるだけチャレンジしていきたいです」
未来に対する投資という意味でも、今後、森林や樹木の調査系の専門職がもっと生まれても良いのではないでしょうか。それには国などの補助が必須となってきます。樹木を大切にしないといけないという気持ちはあっても、それを仕事にするというのはなかなか難しい現状。それを変えたいと森さんは言います。今年は京都大学の大学院卒という期待の新人もはいってきたそうです。
「そういう優秀な人材が来るというのが業界としてすごく重要。彼らが生き生きと誇りを持って仕事をしていけるような環境を整えるのも僕らの仕事だと思っています。そのためにはきちんと食べていけるビジネスにしていかないといけません」
「じゃあ、やりますか」
休憩を終え、森さんが再び樹上に上がる。ふたたび枝にロープを繋いでいくのです。
そんな現場での雄姿はもちろん、自然と人の折り合いをつけるという考え方もふくめとても素敵ですし、間違いなく将来性のある仕事です。作業には地味なものも多いですが、元気な木や豊かな自然というものが、その成果物だと考えると、とても夢があります。
「こうやって治療しても、明日元気になるとか、樹木相手ではそういうスパンで物事は進みません。でもそこにやりがいを感じます」という片岡さんの言葉にハッとさせられます。 数年後、数百年後にこのスダジイはいったいどのようになっているのか。もっと長いスパンで、いろいろな物事を考えることが求められている時代なのかもしれない。そんなことも学ばせてもらった現場でした。
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森広志が代表を務める日本でも珍しい樹木医の会社で、片岡日出美さんは樹木医として取締役を務める。樹木医の科学的知見と林業の現場力の両輪で、木にまつわるさまざまなトラブルを解決すると同時に、未来へ向けた若手育成などもおこなっている。
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森広志が代表を務める日本でも珍しい樹木医の会社で、片岡日出美さんは樹木医として取締役を務める。樹木医の科学的知見と林業の現場力の両輪で、木にまつわるさまざまなトラブルを解決すると同時に、未来へ向けた若手育成などもおこなっている。