また新たに、木への視点が広がりました。それは「焚き火」という体験。教えてくれたのは、アウトドアライフアドバイザーの寒川一(さんがわ はじめ)さん。アウトドアメーカーのアドバイザーや、アウトドアガイド、災害時における知識やキャンプ道具の使い方の指南など幅広く活動しています。そんな彼が、ライフワークとして20年ほど続けている「焚火カフェ」に参加。焚き火を通して考える木のこと。そこには、私たちがいま改めて大切にすべきものごとの本質への気づきがありました。
“サボる”アウトドアがコンセプトの「焚火カフェ」
「ここ秋谷は三浦半島の西側に位置しているので、海に夕日が沈む景色が見られます。もうそれだけで、すごく豊かな時間が過ごせるんだなあということを引っ越してきてはじめて知りました。だから僕みたいに、東京から来た人たちにもそんな思いを体験してもらいたくて『焚火(たきび)カフェ』をはじめたんです。夕方ちょっとサボりに行きたいなと思ったら、都心から秋谷まで電車で1時間半くらいで来れちゃうんですよ。そしてたった2時間でも焚き火の時間を味わってもらったら、きっと何かがすごく補正されるというか、また頑張れる力になれるんじゃないかなって。そういうきっかけみたいな存在に自分がなりたいなと思ったんです」
「焚火カフェ」は、寒川一さんが20年ほど前から続けている活動です。店はなく基本的に場所は彼が拠点とする秋谷海岸。一日一組限定の少人数制で、天候のコンディションがよければ年中開催。子どもから大人まで多くの人々が彼の焚き火を求めてやってきます。そこで火を焚き、コーヒーを淹れ、夕暮れ時を過ごす、そんな静かな時間のコンセプトは「サボり」だと寒川さんは言います。
「アウトドアって登ったり走ったり、基本的に身体を使って移動するアクティブなことを指すけど、僕の場合はまったく動かないアウトドア(笑)。焚き火はその最高のツールですね。自分はじっとしていても、地球は自転しているし、雲は流れ、風で木が揺らいだり、さまざまな動きがある。それって、自分が立ち止まらないと見えてこないものなんじゃないかなって思うんです。都心で24時間めまぐるしく働く人たちにとっては特に。だからコンセプトは”サボる”ことなんです」
この最高で特別な「サボりの時間」は、まず実施当日に、焚き火のために海岸で流木を拾い、コーヒーのために山に湧き水を汲みに行くことからはじまります。アウトドアシーンにおいて、木や水は当たり前に身近な存在。もちろん「焚火カフェ」にとっても、木は燃料として必要不可欠で、自然とそこにある身近な木を使って火を焚くということを寒川さんはとても大切にしています。しかし以前は、「木を燃やして火を焚く」という行為に、今ほどの意識を置いていなかったと言います。彼の心を突き動かしたきっかけとなるできごとがありました。
薪から流木へ。変化していった焚き火との向き合い方
「実は『焚火カフェ』をはじめた当初は、ホームセンターで買った薪を燃料にしていたんです。ネジひとつ、石ひとつだってどこでも買える東京暮らしが当たり前になっていて、今みたいに落ちているものを拾って使うような意識は全く無かった。いつ誰が来ても同じものを揃える”均一なサービス”が前提だと思いこんでいたんです。サラリーマン時代に染み付いてしまった考えですね。ホームセンターに行けば30-40cmの薪が束になっているわけで、当時はもうそれしか思いつかなかったんです。ひょっとしたら昔って、全部消費のアウトドアだったのかもしれない」
東京からやってくる人をターゲットに、言わば仕事として企画を売り、焚き火というサービスを提供していた、と当時を振り返る寒川さん。しかし2011年に起こった東日本大震災で、焚き火が被災地や避難所では暖を取るためや人々に安心を与えるために存在しているという状況に直面し、焚き火への意識がぐっと変化しました。
「2011年以降、自分自身が変わりましたね。それまでやっていた焚き火に対して、”火を焚くこと”にどういう意味があるんだろうって考えるようになったんです。それにつれて、お客さんも変わっていきました。当時はおしゃれだよね、みたいな感覚で来る人が多かったのですが、サービスを受けたいんじゃなくて火が見たいというように、火そのものを本質的に求める人が増えていったんです」
そして、その頃と同じくして出会ったのが流木でした。
「一度、たまたま薪がなくなった時をきっかけに、流木を燃やしたことがあったんです。そしたら思いのほかよく燃えて、”流木って使えるじゃん!”とハッとして浜を見渡したら、たくさん落ちているわけです。それまでは焚き火で流木を燃やすなんて思ってもみなかったし、同じ木だとも意識していなかったんです」
木を燃やして火を焚く。本質的なところから焚き火と向かいはじめた中で偶然にも出会った流木に、心を奪われていったのだそう。海岸を歩き、流木をより分けながら寒川さんは続けます。
「海から送られてきたギフト以外の何物でもないんじゃないかって思うんです。”流木”ってその字の通り、海を漂って岸に流れ着いた木のことを指しますが、この字にはもうひとつ意味があって、この流線型の形状のことも表しているんだと思うんです。海の潮に洗われ、岩にあたって削られて生まれたこの独特のカーブってほんとうにどれも美しくて、もう惚れ惚れします。そして木の種類は針葉樹か広葉樹さえもわからなくなって、“無所属の流木”というものになってしまう。そのこと自体もすごくいいなって思うんです。この素性のわからない木が流れ着いてきたということは、僕に燃やしてほしいんだなって勝手に解釈しているんですが、その行為によってこの流木の原形である大きな木のライフサイクルに関われたように感じがして、そこで”木を燃やす意味”が自分の中で開眼したんです。それはホームセンターで薪を買っていたときには、まったく気づくことができなかった感覚でした」
木の声を受け取るということ
流木を燃やし焚き火をすることで寒川さんが得た感覚。それを「木に詰まった炭素を外にだし、解放してあげ、次に生を繋ぐこと」とたとえます。
「木って炭素のかたまりですよね。大気中にも炭素はいっぱいあるけど、目には見えないしつかめないから、木が炭素を一番端的に表している存在だと思うんです。この流木にも炭素がぎゅっと詰まっているわけだけど、自ら解放できない。だから人間が燃やしてその炭素を放出してあげる。そうすることで、たとえば海の中の海藻や、浜辺に生えている浜大根や松の木が光合成して炭素を吸ってくれるかもしれない。それが次に生を繋ぐことだと考えているんです。この木と火と人間の関係は、地球の循環のエネルギーによってもともと仕込まれていたんじゃないかな。古代中国の自然哲学思想に「五行」というものがあります。万物は火・水・木・金(鉱物)・土の5種類のエレメントからなっていて、互いに影響し合うことで、地球は循環しているというこの説にも通じていると思っています」
かつては自然物が時に対立し、時に支え合い、変化を続けながら地球は循環していたところに人間の営みがはじまり、自然物でないものが次々に介在していきました。文明の発展とともに、かつての循環のバランスが揺らいでいくのは当然なこと。そうして便利な世の中になったことで、大切なことを私たちは忘れてしまっていることを、寒川さんは危惧しています。
「昔はもっと暮らしの中に火があったんですよ。一日三度のごはんを食べるにも、お風呂に入るにも、火を焚かなくてはならなかったから、僕の母も、小学生の頃、学校から帰ってきたら、まず小枝や杉の葉を集めて火を起こすのが日課だったそうです。でもそこから100年も経たないうちに、便利な電化生活に代替えられ、人間は火を使わなくなった。つまり木を燃やさなくなったんですよね。日本は森林大国で木とともに暮らしてきたはずなのに、木との関わりがどんどんなくなってしまったんです。当たり前に毎日木の炭素を解放して、それがまた次の緑を育てて循環していたことを考えると、今、誰が木の炭素を解放してあげられるんだろうって思うんです。木って声を発さないじゃない。苦しくても、苦しいって言えない。だから僕たち人間がメッセージを受け取るしかないんです」
自分が好きなことを最優先にしながら、新しい場所でどうやって生きていくか。そう思い立ってはじめた焚き火は、20年を経て現在は「使命」だと感じている寒川さん。木を、自然物を循環させ、私たち人間がともに生きていくための本質を、焚き火を通じて教えてくれました。
「僕自身も便利を享受して生活しているところもあるので偉そうなことは全然言えないけど、せめて焚き火っていうジャンルにおいては、もっと木の声をキャッチして大気に炭素を出し、地面には灰を返したい。それって大きな炎じゃなくて、あくまで小さいもの。小さく、長く、木を燃やして、火を焚く。自分の使命みたいに感じています。炭素を出すって木のために聞こえるかもしれないけど、実はその木から出される酸素を我々は求めていて、木を育てないと僕らはもう生きていけないっていうのが無意識にわかっているんだと思うんです」
PEOPLE
寒川 一
Hajime Sangawa
香川県出身。災害時に役立つアウトドアの知識を書籍、キャンプ体験、防災訓練などを通じて伝えるアウトドアライフアドバイザー。三浦半島を拠点に焚火カフェなど独自のアウトドアサービスを展開。スカンジナビアのアウトドアカルチャーにも詳しい。著書に『新時代の防災術』『焚き火の作法』(学研プラス)などがある。