岐阜県の高山駅から車で20分ほど。観光客で賑わう街並みはあっという間に豊かな森林へと変わり、人の気配もなくなってきた山道の途中に、その工房はあります。『FUSHI HOUSE』と名付けられたこの場所は、木を素材とした制作・実験の拠点。木工家であり樹木効能研究家の牧野泰之さんが、独自のアプローチで木と向き合っていました。
実験的に木と暮らす家
FUSHI HOUSE
「子どもの頃から植物が好きで、よく植物採集をしていたんです。その当時から(植物学者の)牧野富太郎さんのことも知っていて、偶然にも同じ苗字だからすごく親近感を持っていました(笑)。胴乱(どうらん)という植物採集用の金属製の入れ物を親に買ってもらって、それとスコップを持って採集に出かけて、採った植物は新聞紙に挟んで標本を作ったりと、そういうことをずっとしていました。一時は釣りに夢中になって植物から離れたこともあったんだけど、子どもの頃から好きだったものや経験が刷り込まれているというか、結局こうやって関心が戻ってきて、今の活動につながっているんですよね」
そう語る牧野泰之さん。大学卒業後、INAXにて6年間開発に携わりその後高山の木工訓練校にて木工を学びはじめまます。その後修行を経て、高山地域の大手メーカーのOEMやモデリングを行う中で徐々に「オリジナル家具」への興味やこだわりが高まり2001年にマキノウッドワークスを設立。以降飛騨高山産材の木を使った家具づくりや、飛騨牛の皮を使用したレザーブランドの開発など、身近にある素材でトレーサビリティと持続可能を大切にしたものづくりをおこなっています。2022年に株式会社FUSHIを設立。これまでの事業に加え、木材が放つ成分を研究しその効能を活かすという、新たな木材活用の可能性を追求するその活動拠点がこの『FUSHI HOUSE』です。
『FUSHI HOUSE』は、木材の揮発成分を活かし室内にいながら森林効果を狙う目的で2年前に建てられた、牧野さんの工房であり研究施設です。1階は事務所兼木材倉庫として、2階はキッチンやシャワーブース、ベッドも備えた実験的な住居としての機能を持っています。周囲は森に囲まれており、隣接する地域の植生を調査しそれらに合わせた木材を採用。室内空気質を樹木由来の成分だけにするため、カンナ仕上げ、無塗装にこだわって建てられました。豊かな木の表情とさまざまな香りに包まれた空間は、すべてこの地域の木から建てられていて1階には針葉樹、2階には広葉樹を採用。まるで建築と森がシームレスにつながっている様は、まさに牧野さんが実現したかったことでした。
「このあたりは、植林されたヒノキやヒメコマツ、スギなどの針葉樹が生えているエリアと、コナラやクリ、ホオノキなどの広葉樹が生えているエリアの両方に隣接しています。この地域の植生に合わせた木だけを使った家を建てたかったんです」
キッチンに採用した木材も、もちろん無塗装です。
「僕もキッチンはたくさん手がけてきましたが、木を使いたくても塗装とキッチンパネルは必須になってしまうのは嫌だなと思っていました。メンテナンスの面でも無垢材のキッチンは理解されないことが多いですよね。でも、プラスチックや金属素材のキッチンだと油がはねるとベタベタになるじゃないですか。でも無塗装の木だと、細かい油は吸収されて、そんなにベタつかないんです。基本的なことさえ守れば、木でできることはたくさんある。木の扱い方が昔とは違っていて、”塗装が剥げたから捨てる”とか”ちょっと汚れたらもう嫌だ”みたいなことになりがちです。だからこそ、塗装しなくたって木はこんなにもきれいなんだよっていうことを、自分がここで実際に使って試しているんです」
内科的アプローチから
木の魅力を追求する
「大学との協働で木の揮発成分の研究を進めている中で、自然に香りを感じるというレベルよりももっと低い、意識的には気づかないレベルで、人は香りに反応しているということがわかったんです。家を新築して1年も経ったら香りを感じなくなって、木の香りはもうなくなったのかなと思いますが、実は測定機器では木の揮発成分は微量ながらも出続けていることがわかっています。むしろ香りを感じ続けるという状態は、脳が覚醒の方向に働くので逆効果なんです。今までは”香りを感じること”や”視覚的に木で溢れた空間であること”こそが木の魅力だと捉えられがちでしたが、それだけではなく揮発成分の濃度で木の量を決めて、人にとっての心地よさをコントロールしていけるのではということもわかり始めていて、そこがおもしろいなと思っています」
現在の計測設備で測定できる濃度よりも、もっと低濃度のレベルでも、木の揮発成分が人間に影響しているということを確かめたいという牧野さん。それが木のあたらしい価値の創造であると考えています。
「どうしたら木の付加価値を上げられるのかというところを突き詰めていきたいんです。そのひとつ、トレーサビリティに関しては、昔からずっと注力してきましたし、世界的にも重要視されています。じゃあ他にはもっと何があるんだろうと考えていった先に、”内科的アプローチ”で木の成分を研究しはじめているというのが今の状況。一般の人からしたら、さらに混沌としそうですが(笑)、2022年のジャパン・ハウス・ロンドンでのトークイベントで木の揮発成分をテーマに話した際に、終了後観客からの質問で長蛇の列ができたんですよ。海外でもこんなに関心を持ってくれる人たちがいるんだと驚きましたし、もっと世界に向けてアプローチできるんじゃないかと思い、SNSなどでも発信し続けています」
次の世代のために
木を残すということ
木へのあたらしい発想を持って研究を続ける牧野さんですが、同時に次世代に木を残すために何が大切か、過去に立ち返り本質を見極めることも重要視しています。
「今でこそ、地域の材で家具を作るということにメーカーも力を入れていますが、かつてはここ飛騨も8割以上が外国産材を使っていた時代があり、でもそのことを知らない人も多かったんです。飛騨の家具は飛騨の木を使っているからいいですよねって。でもそれは間違いだった。だからこそ、飛騨の木だけでものづくりをきちんとしていきたいんです。地域の材を使った建築を手がけるということもそのひとつ。でも広葉樹だと小さな材しかとれない木が多いので、過去に作られてきた林産物を復活させることができれば、もっと多様な活用のし方ができるんだろうなとも思っています」
そういって牧野さんは、制作中の杓子を見せてくれました。これは江戸時代から高山市久々野町(くぐのちょう)の有道地区に伝わる「有道(うとう)杓子」という工芸品。牧野さんはこの杓子の保存会にも所属しており、飛騨高山の野外博物館「飛驒の里」で実演販売などの活動もおこなっています。
そして、切られた木をどう無駄なく活用するかということだけでなく、次の世代のために木を切ることそのものをコントロールしていくべきと続けます。
「切られてきた木を、細かくてもどうにか活用するということを前提にするのではなく、数十年先ではなくて、もっと先を見て、次の世代が使える立派な木を育て残していくことも必要なんじゃないかな。日本の歴史の中では、法隆寺や東大寺は当時あった木で作られていて1000年以上も建っている。そんな建物をまた建てるために、人は木を1000年育ててきたかと言うとそうではないですよね。木って持続可能な資源であり、だからこそうまく活用していくことが大切だと思うんです」
そして牧野さんは、現在また新たな事業を始動しようとしています。『FUSHI HOUSE』から車で15分ほど、同じく高山市内にある長瀬製材所の事業を承継中ということで案内いただきました。
代表である長瀬奈美子さんは今も現役の製材工。約30年前、ともに働いていた夫の亡き後も事業を切り盛りしていましたが、体力的な理由から事業をたたもうかと悩んでいたところに牧野さんとの出会いがありました。
「高山は広いですが、昔は各地域に製材所があったのですが今はどんどん縮小してしまっている状況。地域の木を別の場所でプレカットする状況になるのはおかしい」と牧野さんは、地域材を活用する自身の活動理念をより実践させていくため、製材所のノウハウを長瀬さんから学びはじめています。
「丸太をどんなふうに挽いていくのか、あまり実感がなかったのですが、そばで見ているととにかくとんでもない重さだし、とつぜんバキっと割れが起こることもあるから、相当神経を使う。すごく大変な仕事なんですよね」
「怪我もしたし怖いこともあったけど、いい木が出てきて、この木をどう挽こうかとかね。そうやっていくうちにやっぱり木が好きになって、それで続けてこられたと思うんですよね」と長瀬さん。すこしずつ製材の行程を牧野さんに伝授しているようです。
「そうなんです。少ないながらも今残っている製材所は、やっぱりみんな木が好きだから残しているというところがあります。昔は家を建てる時は、ひとつの製材所で一軒分の製材をおこなっていたんです。地元の木を地元で製材する時代が、きっとまた帰ってくるはずです」
まだ私たちが知らない木や忘れかけていた本来の木を、牧野さんはあらゆるアプローチで追求しその魅力を伝え続けます。対話の中でさまざまな課題があると感じながらも、どこかワクワクさせてくれるのは、独自の眼差しで捉え、力強い覚悟で実践する姿があるからこそ。『FUSHI HOUSE』から生まれるさまざまなチャレンジや気づきに期待を寄せます。
PEOPLE
牧野 泰之
Yoshiyuki Makino
日本の木工家であり、樹木効能研究家。 長年、トレーサビリティと持続可能を大切にした家具づくりをしている。近年は木材が放つ成分を研究し、その成分効能を活かした新しい木材活用に取り組んでいる。現在、減少の一途を辿る地域の製材所の一つを事業承継中。